大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 昭和55年(ネ)74号 判決

第六八号事件控訴人 第七四号事件被控訴人 広島県

代理人 中原満幸 ほか四名

第六八号事件被控訴人 第七四号事件控訴人 門田昂

主文

原判決中一審被告敗訴部分を取消す。

一審原告の請求を棄却する。

一審原告の控訴を棄却する。

訴訟費用は一、二審とも一審原告の負担とする。

事実

一  申立

1  一審被告

主文同旨

2  一審原告

原判決中一審原告敗訴部分を取消す。

一審被告は一審原告に対し一三九〇万三七九一円及びこれについて昭和四九年一二月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

一審被告の控訴を棄却する。

訴訟費用は一、二審とも一審被告の負担とする。

二  主張

次のとおり訂正、付加するほかは原判決該当欄記載のとおりであるからこれを引用する。

1  一審原告

(一)  原判決二枚目裏六、七行の「昭和四六年九月下旬より」から九行までを「実態調査を行わせ、その第一回は昭和四六年一〇月二〇日から二二日まで及び同月二七日(対象者は計二二名、調査担当者は延二名)、第二回は同年一一月二五日から二七日まで、一二月二日から四日まで及び九、一〇日(対象者は計八〇名、調査担当者は延一八名)にわたつた。」と改める。

(二)  一審被告の行つた第一回実態調査は、個別指導に先立つて行われ、昭和三五年二月の「厚生省と日本医師会及び日本歯科医師会との申し合せ」に反する違法なものであり、又、第二回実態調査は一審原告が個別指導において反論し、その後反証を提出したにもかかわらず、何ら検討を加えて指導することなく、監査を目的として行つたもので違法である。

(三)  一審原告には前記第二回実態調査を受けるについて何ら過失はない。

(四)  一審原告は昭和四七年九月二四日以降の七年間も毎年五〇〇万円以上の得べかりし利益を喪失しており、昭和四六年以降の総額のうち一二〇〇万円を請求する。

2  一審被告

(一)  原判決六枚目表二行から六行までを「同2の事実は認める。」と改める。

(二)  一審被告のした本件実態調査には何ら違法不当な点はない。一審原告主張の「申し合せ」は効果的な指導を確保するための実態調査を先行させることを許さない趣旨ではなく、本件のような方法は県医師会の了解のもとで以前から実施されている慣行であり、本件についても事前に県医師会の了承を得ており、何ら違法ではない。

(三)  一審原告の患者が減少したとしても、それは一審原告の別件刑事事件や患者との紛争が新聞により報道されたことによるものである。

三  証拠 <略>

理由

一  一審原告が昭和三〇年に医師免許を取得し、昭和三七年から福山市において門田整形外科病院を開設し、診療に従事していたこと、一審被告の民生労働部保険課(以下単に保険課という)職員が一審原告主張の時期に一審原告の患者につき実態調査をしたこと、一審原告が昭和四七年三月七日に広島県知事に対して保険医登録抹消届をし(<証拠略>によると同日付で保険医療機関辞退届も提出したことが認められる)その後間もなく前記病院を休院としたことは当事者間に争いがない。

二  <証拠略>によると次の事実が認められ、この認定に反する<証拠略>は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  一審原告は前記病院開設の頃から保険医療機関となり、自らも保険医の登録をしていたが、昭和三九年から昭和四一年まで毎年健康保険法等所定の広島県知事による指導を受け、過誤による診療報酬を返還していた。

2  昭和四五年七月頃の新聞に、一審原告とその治療を受けた交通事故の被害者との間の紛争が掲載され、福山警察署は、一審原告が交通事故で入院した患者の自賠責保険金を保険会社に水増し請求して二〇万円余を詐取した容疑で捜査し、同年一一月に右事件を検察庁に送致し、これもその頃の新聞で報道された。

3  保険課では、右事情等から一審原告の指導を検討していたところ、昭和四六年五月頃に、一審原告の被保険者大橋洋に関する診療報酬請求明細書(昭和五五年一〇月から一二月分まで)によると、大橋は腰部椎間内障、左膝打撲により昭和五五年夏頃から診療を受け、同年一〇月一日から一二月五日まで入院治療を受けた、とされている件について、福山社会保険事務所長が右一二月分の医療費八七二八円を被保険者資格喪失後のものとして返納するよう大橋に通知したところ(これより先、同事務所では一審原告病院事務長から右一二月の保険診療を行つている旨の回答を得ていた)、大橋から昭和四五年一〇月中に退院し一一月一一日以降は福山市内の小島洋紙株式会社福山営業所に自動車運転者として勤務していて右以後の入院治療は受けていない旨の申出があり、右勤務先の右稼働を証明する旨の書面も提出され、同事務所の係官がその頃右勤務先に電話照会した結果、大橋は昭和四五年一一月一一日に採用され、同月は一五日間勤務している旨の回答があつた。

そこで、保険課は、一審原告の前記診療報酬請求に不正又は不当請求の疑があると判断し、広島県医師会と協議のうえ、前記第一回実態調査を行い、右大橋に関しては聴取書を作成し、その他については簡易な方法によつたが、大橋は前同旨の陳述をし、結局右大橋の件など相当数について不正又は不当請求の疑が残ることになつた。

4  そこで、保険課は昭和四六年一〇月二八日に県医師会担当理事、福山医師会長ら出席のもとに右調査結果に基いて一審原告に対する個別指導を行つたが、一審原告は強く調査結果を否認し、不正又は不当な診療報酬請求をしたことがない旨主張し、特に大橋の件については同人の陳述が不当であるなどとして保険課係官と激論し、結局問題の解決にいたらなかつた。

5  一審原告はその後右指導で特に問題となつた大橋の件を含む五件について反証書(大橋の件については、同人が昭和四五年一二月五日まで入院治療を受けている旨主張し、同室の入院患者、ヤクルト販売店の証明書等が添付され、大橋の陳述等は虚偽である旨記載されていた)を提出したが、保険課では、大橋の件に関し、前記調査結果と対比して納得できなかつたので監査を行うのが相当と判断し、更に一審原告の一般的傾向を把握し、確実な資料を集めるため、県医師会とも協議のうえ、第二回の実態調査を行つたが、その方法は担当者二名一組で行い対象者は前記のとおり八〇名で、一審原告の同年九、一〇月分診療報酬請求書の内容を確認して聴取書を作成し、これに署名押印を求めるものであつた。

6  右調査の結果、保険課では、大橋の件の外にも相当数の不当請求がある、と判断し、監査手続を進めることにしたが、一連の手続に関与していた県医師会関係者は、一審原告が監査を受けるときそれまでの調査資料によると最悪の場合には保険医療機関指定取消等の事態も生ずるので、一審原告が自発的に右機関等を辞退し、当分の間休院して、再開を期した方が得策である、と判断して、その旨を一審原告に勧めたところ、一審原告もこれを納得し、昭和四七年三月七日に県医師会館で行われた個別指導において三六件計六万九九九九円の過誤返還額を認めたうえ、前記のように保険医療機関辞退届等を提出するとともに休院の措置をとつた。

三  一審原告は、保険課が個別指導に先立つて患者の実態調査を行つた点が違法である、と主張し、<証拠略>によると、昭和三五年二月の「厚生省と日本医師会及び日本歯科医師会との申し合せ」には「行政庁が個別指導を行なつた上、なお必要がある場合は患者の実態調査を行なうこと」とされていることが認められるが、健康保険法及び国民健康保険法は知事等の行政庁に指導、監査の権限を与え、その目的を達するために関係者に対して質問する権限等を与えているのであるから、右権限の行使は原則として行政庁の裁量に任されているものというべきであり、前記申し合せは、患者の実態調査が医師に与える影響の大きいこと考慮し、慎重に行うべき旨を合意したに過ぎず、相当の理由がある場合にまで個別指導に先立つて患者の実態調査ができない趣旨のものとは解しがたいところである。これを本件についてみると、前記事実関係では、大橋の件は、一審原告の不正又は不当な診療報酬請求を疑うに十分であり、その後の一審原告に対する指導、監査を適正に行うために患者の実態調査を行う相当の理由があつたことは明らかであるうえ、事前に医師会側と協議していること、<証拠略>によると、保険課では、従前から、必要に応じて、医師会と協議のうえ、個別指導に先立つて本件第一回程度の患者の実態調査を行つてきたことが認められることを総合するとき、一審原告の前記主張は採用することができない。

次に、一審原告は、前記一〇月二八日の個別指導において反論し、その後反証を提出したのにこれらを検討して指導することなく監査を目的として第二回の実態調査を行つたことが違法である、と主張するが、前記事実関係では、保険課が本件において重視していたのは大橋の件であり、大橋は少なくとも一一月一一日以降入院治療を受けていないと判断していたのに対し、一審原告側は終始大橋が一二月五日まで入院治療を受けたと主張したので両者の主張の対立は解消されず、最早一審原告が保険課の指導に従う余地は殆んどなくなつたものとして監査をすることに決定して第二回実態調査をしたことが認められるところ、<証拠略>(保険課の資料)と<証拠略>(一審原告の資料)を対比するとき、保険課の右措置を違法とすることはできず、一審原告の前記主張は採用することができない。

更に一審原告は、本件実態調査には一審原告が不当な診療をしている印象を与えたり、治療方法を批判する内容のものがあつて、一審原告の名誉、信用を害した、と主張し、<証拠略>には右主張にそう部分があるが、<証拠略>と対比して信用しがたいところである。

一審原告は更に一審被告の強要によつて前記保険医、医療機関辞退等を余儀なくされた、と主張するが、右経緯は前記認定のとおりであつて、右主張も採用することができない。

そうすると、他に保険課職員の違法行為を認めるに足る証拠はないので、一審原告の本件実態調査等の違法を前提とする損害賠償請求はその他の判断をするまでもなく、棄却すべきことになる。

四  一審原告の早川学のレントゲンフイルムに関する損害賠償請求についての当裁判所の判断は原判決の説示(二〇枚目裏六行から二一枚目裏七行まで)と同一である(ただし、二一枚目表七、八行の「原告からの告訴により」を「一審原告が右フイルムの件に関して大本行男を告訴したことから」と改め、同裏一行の「右認定に反する」の次に「原審証人佐伯洲康の証言」を、二行の「の一部」の次に「とこれによつて<証拠略>」を加える。)からこれを引用する。

五  以上の次第で、一審原告の請求はいずれも棄却すべきものであるから、原判決中右請求認容部分を取消して請求を棄却し、棄却部分に対する一審原告の控訴を棄却し、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 梶本俊明 出嵜正清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例